メガシンカ、それは絆の力の理想形 ~コルニとルカリオ~ 前編

今日9月18日で、「マスタータワー!メガシンカの歴史!!
すなわちコルニ再登場回から丸1年を記念して、前からこのブログで存在を
ほのめかしていた、私が昨年10月に身内向けに書いた文章をついに公開します。

この文章は、私が気に入った'コルニ編'の感想はもちろん、アニメを通しての
メガシンカについての予想と期待にまで言及して書いたものです。
前述の通り書いたのはかなり前なので、現状とは異なっている部分があったり、
調査が足りなかったりする部分があるかと思いますが、それでも今の明日宮の
アニポケXYの見方の大きな部分を表しているとは思います。


1、コルニという「もう1人の主人公」
 6月と7月そして9月末に放送された、コルニとルカリオが登場する全7回。
そのうちの初登場回を除いた全ての回で、タイトルコール画面にコルニを
大きく映し出し続けていました。それにOP「メガV」のラストシーンでは、
サトシたちに駆け寄るコルニとルカリオの姿を大きく描いていました。
これらのことや、コルニとルカリオの葛藤と成長、そして少し時を空けた後の
立派な姿を描いたこの素晴らしい内容を考えるとこの7話は、
コルニを主人公とした「コルニ編」と充分呼べる代物だと思います。

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 一時的に追加される「もう1人の主人公」、それはエピソードNのNで始まったと
思われるこの構成。そのときNはプラズマ団との関わりなどから「カギを握る人物」
という印象でしたが、コルニのまっすぐさと悩む姿が深く・長く描かれていて、
そのときのNよりさらに主人公チックに描かれたと感じました。
なおかつ、コルニとルカリオを中心に描かれたこの7話のストーリーは、
XYシリーズ最大のテーマであるメガシンカに深く触れたストーリーであり、
深く考えさせられる要素に溢れていました。
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 今回は、そんな「コルニ編」で私が感じたことについて話したいと思います。



 メガシンカの力をコントロールするためには、本当の絆を深めることがもっとも
重要でした。サトシにはピカチュウがいるように、ルカリオという最高の相棒を
持つコルニ。コルニとルカリオは幼い頃からずっと一緒で、一時も離れたことが
無いような存在でした。ですが、コルニの指示無しでルカリオが技を勝手に
繰り出してしまっても問題視しないことなどからもわかるように、「2人の心は1つ」
であると自ら感じてしまうあまりに、お互いの更なる深い理解を求めた行動を
起こすことはなく、実は問題である部分も平気だと感じてしまっていたのでした。

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 また、ルカリオルカリオという種のポケモンであることも、メガシンカの力を
コントロールする上での大きな壁であったのではないかと思います。
ポケモン図鑑に「人の言葉を理解できる」と書かれているように、
ルカリオはとても知能が高いポケモン人に近いポケモンです。メガシンカが、
メガストーンに呼応してポケモンの秘められた真の力を引き出すものなのか、
それともメガストーンの力に適合して強くなるものなのかはまだわかりませんが、
どちらにせよ人に近いルカリオメガシンカをするということは
まさにポケモンとしての力を引き出すということになります。メガシンカすることで
自分が力でいっぱいになると、普段の理性で自分を制御できなくなるということは、
ルカリオメガシンカする上で必ず越えなくてはならない壁なのです。
更にルカリオは、波導の力を操ることができるという、元々特殊な力を持った
ポケモンでもあります。メガシンカすることでその波導の力が大きく増大する
ということも重なるので、ルカリオにとってメガシンカすることは他のポケモン
より遥かに難しいことであるのです。だから、メガシンカするための「絆の力」は、
かなり深いものを必要とされ、元々仲良しであったコルニとルカリオでさえも
難しかったのです。


3、「強さ」と「絆」それは数字で得られるものではない

 ルカリオナイトを手に入れる前のコルニとルカリオは、
100連勝を目標に行動していました。その理由は、祖父であるコンコンブルに
メガシンカにはメガストーンとポケモンとの絆が必要」と言われたものの、
前項で書いたように「すでに絆は深い」という考えもあり、
とりあえずメガシンカにも対応しうる強さを示そうとした、
もしくは強さと絆は直結しているという考えがあったからでしょう。

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 ここで出てくる「100勝」という言葉。この言葉を聞くと思い出すことがあります。
BWの「ドラゴンバスター登場!アイリスとドリュウズ!!」という回に出てきた、
幼い頃のアイリスとドリュウズ(途中までモグリュー)のストーリーです。
アイリスとモグリューもかなり強く、99勝までいきました。
その99戦目の途中でモグリュードリュウズに進化し、更にパワーアップしました。
その勢いで、アイリスはドラゴンマスター・シャガという強敵に100勝を目指した
バトルを挑みますが、そこでとある問題が発生したことにより敗北してしまい、
その敗北がきっかけでドリュウズはアイリスに心を閉ざしてしまいます。その戦い
の中で発生した問題とは「ドリュウズがアイリスの指示に疑問を持ったこと」
言い換えれば「アイリスがドリュウズの意向を汲み取らずに指示を出したこと」
です。連勝を重ねれば絆は自然と深まり、100勝もできれば完全に通じ合い、
息の合った最強のバトルができるというアイリスの思い込み。これはコルニにも
共通して言えることだと思います。数字による強さは過信を生み、その強さから
くる「絆」の感覚は本当の絆ではない
。アイリスもコルニも、この壁にぶち当たり
ました。しかし2人とも、すぐにはその問題点に気が付かなかったのでした。



4、心は一つ、景色は二つ

 アイリスがドリュウズとの絆・息の合ったバトルを取り戻すことができた
きっかけは、旅の途中で出会った、ドラゴンバスター・ラングレーとのバトルでした。ラングレーのツンベアーが1戦目でドリュウズに止めを刺した技は、
シャガのオノノクスに負けたときと同じ技・いわくだきでした。その技がきっかけで、
アイリスもドリュウズもシャガに負けたあのバトルを思い出し、強くなろうとします。
その途中で、ドリュウズの「遠隔攻撃ができる技が必要だ」という思いにアイリスが気付くことで、2人は絆を取り戻していきます。結果、きあいだまを習得し、
ラングレーのツンベアーとも引き分けに持ち込むことで、絆と力を取り戻すことが
できました。お互いの気持ちを理解し合い、絆を深め、さらに強くなる
アイリスとドリュウズのストーリーはこのようなものでした。
さて、コルニとルカリオが絆を深めてさらに強くなったのは、
どんなことがきっかけだったのでしょうか……?

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 コルニとルカリオメガシンカの力をコントロールできるようになった修業の場所、
それはメープルの山荘でした。メープルは、バトルの修業ではなく生け花の修業を
コルニとルカリオにさせます。その生け花修業を通じて、コルニとルカリオ
メガシンカの力をコントロールできるようになっていきました。
 
 その最終段階での「心は一つ、景色は二つ」という助言は、実はルカリオにとって
とても重要なものであったのです。先述の通り、人に近い存在であるルカリオ
自分1人で戦略的に戦うことも十分に可能です。だからといって、トレーナーなしで
メガシンカをすることはできません。そして、形だけトレーナーがメガシンカ
してもダメ、すなわち、トレーナーという外からの視点が大事であり、それと
気持ちを通じ合わせて戦うことによって初めて、ルカリオメガルカリオとして
戦うことができるのです。コルニとルカリオは2つの視点を共有し、その上で
その視界の違いを理解し、助け合うことでメガシンカの力をコントロールして
戦うことができるようになりました。

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 そして何よりも大事なことで根本的なこと。
生け花、それはバトルとはかけ離れたもの、だからこそトレーナーとポケモン
落ち着いて、共に景色を眺めて心を通じ合わせることができるようになるのです。
当初はバラバラだった生け花が、調和のとれたものになったのと同時に
コルニとルカリオは、100勝という数字からくる強さとは真逆である、
本当の意味で心を1つにすることからくる絆を手に入れます。
終始コルニとルカリオはこの生け花修業を、メガシンカの力をコントロール
するための修業だとは信じていませんでしたが、だからこそ、
ただただ生け花で絆が深まっていったその結果、メガシンカの力をコントロール
できるようになった。つまり、メガシンカのために絆を深めるのではなく、
絆を深めた結果としてメガシンカがあるのです。つまり、
メガシンカとは、ポケモンとトレーナーによる絆の形の理想形であるのです。



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以上が前編です。メガルカリオというポケモンについて熱く語っていました。
この文章でアイリスちゃんのストーリー、しかもラングレーちゃん初登場回を
引っ張り出してきたのはベスウイ要素を無理矢理入れるためではなく、
ちゃんと「100勝」という言葉から共通点を見出して、コルニとルカリオとは
別の絆の例として出してきたのだと思います。(ただし、それにしては
ラングレーちゃんの名前が多く出ているのはそれはやっぱり私だからですw)

ちなみに、学祭でのサークル会誌用(その場で読んでもらうタイプ)に提出した
文章です。そこではWord形式で、改行もしないスタイルでしたが、
ブログ掲載にわたり改行を加えています。(何故かそれが私のブログスタイル)
しかし使ったキャプ画は、そのとき使ったものと同じものを使っています。