群像ドラマという面から見たBW

今日、スポーツ報知の ポケモン・ザ・ムービーXY’14特別号 を買ってきました。 
 
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中はとても盛りだくさん。350円でこのボリュームとは素晴らしいです。
 
 
さて、最初の見開きは湯山監督のインタビューだったのですが、その中で、
 
「前のシリーズ(ベストウイッシュ)が何人かの群像ドラマになっていましたが、今回はあくまでも主人公のサトシとピカチュウを真ん中に据えました。」
 
というコメントがあったので、それに関して思ったことを少しここに書きます。
(またTwitterからの転載ですけど)
 
 
 
「BWは何人かの群像ドラマ」という湯山監督の言葉……!! 
そう。ライバルキャラたちやNたちとの関わり合い方が最高だったのがBW……!!
 
ここで「群像劇」という言葉の定義を調べてみたところ……。
「複数の主人公」または「複数の視点から見る1つの出来事を描写」
するものが群像劇であるそうです。
 
1つの出来事を多数の目線から見る、それはまず、
完結できなかったメテオナイト編に言えるのかもしれません。
ポケモンを守りたいサトシ、エネルギーを求めるロケット団、この基本的な善悪の
対立に加え、まず市民(人間)を救おうとするシューティーの立場、アーティの大人の立場、放送できなかったけれどもプラズマ団の立場…etc…があったと思います。
 
それでもやっぱりドンバトルの多重要素群像ドラマを絶賛します。
強さを求めるシューティーくん。
アイリスちゃんに徹底的に構い続けるラングレーちゃん。
そしてデントと対等に競い合いカベルネちゃん。
可愛さを求めるベルちゃんもかな?
サトシの視点にこだわり、サトシ(+デント・アイリス)のバトルばかりを
描写するわけではないというところが、本当によかったです。
 
ドンナマイトもそう。
あれはドンバトルのそれぞれの視点の上に、
ケニヤンという新たな主人公を重ねてできた群像ドラマなのではないでしょうか。
 
 
逆にXYは主人公のサトシとピカチュウを真ん中に据えているようですね。
XYはサトシというトレーナーとして大きな光(未来)を持つ存在
すなわちぶれない主人公が、セレナやシトロン、コルニたちに
良い影響を与えていくストーリーであるという解釈を自分はしています。
 
この前までのストーリーも、コルニちゃんが主人公だったりする気もしますが、
XYはサトシという存在が一番上にあって、そこからコルニちゃんが
色々なものを得ていったのではないかと……。
 
自分は強い信念を持ち、周りを良くしていく。
XYのサトシとピカチュウはそんな主人公像なのではないかと思います。
……すると、エピソードNはXY寄りのストーリーという解釈になりますかね?
 
 
 
BWがあのような、ライバルキャラもサトシ以外の目線も
とても僕好みである作品になったのには、
湯山監督の「群像ドラマ」という展開方法があったからとも言えますね。